2024年3月9日土曜日

命日

 3月9日。父が死んだ日。今日で45年が経過した。もう少しで61歳になるところだった。前年の夏ごろから体調がすぐれず、検査の結果、胃にガンが見つかった。当時は今と違って本人に告知しないのが一般的だった。医者も家族も真実は伏せ、別の胃の病気を告げて入院、11月に手術となった。

手術の結果は思わしいものではなかった。胃の中にできたガンは外側の層にまで達し、周囲のリンパ節から臓器にまで広がっていた。胃は全摘、目に見える周囲のガンも切除はできたが、遠隔転移の可能性も見込まれた。「あとは運しだい…」担当医の術後説明も、明るい期待を感じさせるものではなかった。

年末に退院。自宅療養に入ったが、体力は日ごとに衰えた。部屋にこもって横になっていることが増え、月に1~2回の通院もつらそうだった。大学卒業を控え、卒論の提出も終えた自分は兵庫の実家に帰省し、父との時間をもつようにしたが、実際は一緒にいるのがつらく、避けるような気持ちもあった。

家族は「丸山ワクチン」に最後の望みを託し、担当医の委任状を携えて私が東京へワクチンを受け取りに向かった。3月8日、父は再入院。自宅療養が難しいほど病状が悪く、呼吸もつらくなっていた。再入院してすぐに酸素吸引。同じ日、私は東京から戻り、明日からワクチンを投与することになった。

翌日の朝、父の容体が悪化したとの知らせを受けて、家族で病院に向かう。父は喘ぐような呼吸を繰り返し、苦しそうにもがく。その手足は肉がそげて細く、膝や脛は骨格が浮き出るような状態で、乾いた皮膚が紙のように薄く張り付いていた。しばらく日に当たらないその白さが眼に沁みた。

医者や看護師が病室に詰めかけ、家族らは部屋から出された。早くも泣き出す家族の姿もあった。ややあって声がかかり部屋に戻った。病院スタッフが父のベッド脇に立ち、医師が父の目を覗き込み最期の宣告をした。そうなるかもしれない、と予期していたことが事実になった瞬間、そんな予期や覚悟など、まったく無意味なほど狼狽えた。

後になって父が自らの病気を知っていたことがわかる。家族は隠し通したつもりだったが、逆に父が真実を知っていることを家族に伏せていたのだった。ひとり静かに覚悟を決めていたのは父の方だった。あれから何度も春夏秋冬が巡り、自分は父の年齢を遥かに過ぎた。もうここには書かないかと思っていたが、命日にちなんで、思い出してみた。