2015年12月25日金曜日

自由

創作のよいところは、自由であること。何を描くのも、どう描くのも自由。制約だらけの世の中で、例え紙一枚のなかであっても、そのなかで自分が主になれる場所。国籍・年齢・性別・身分・境遇・常識・価値観など、人をからめ取るあらゆるものがここには一切ない。自由自儘の世界。つくりごとをなすすべてのひとに幸あれ

空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず(聖書マタイ伝より)



1220 for nikolai blokhin

1221 a man

2015年12月24日木曜日

12月の空

雨がやんで、青い空が広がった。冬の澄みきった朝、梢を震わせる風もない。ラジオからクリスマスソングが流れてくる。今日と明日、世界で何も起きませんように・・・



1219 for nikolai blokhin

2015年12月23日水曜日

炭をいじり始めて半年。「夢中」という時期はとうに過ぎて、描くペースこそ落ちてきたが、日々のあれこれのちょっとした間に、炭を動かす手すさびの時間は悪くない。森の中にひっそり沈んでいくように空白になれる。この先どれだけ、このときを繰り返せるだろう。

きのうまた かくてありけり
今日もまた かくてありなん
このいのち 何をあくせく
明日をのみ 思いわづらふ 
 
(島崎藤村「千曲川旅情の歌」より)



1218 for nikolai blokhin

1218 man and woman

2015年12月22日火曜日

日本変人列伝三 西行

世捨て人。家は武家の名門、いわば何不自由ないエリートコースが約束されたおぼっちゃま。それが何を思ったか若い時に突然、家を捨て、世を捨て、出家すると言い出す。
「お前いったい何考えてんね。どうするつもりじゃ」
「歌人になりたいんや」
「かじん!何じゃ、それは」
「五七五七七や」
「・・・」
両親の嘆きはいかばかりか。決められたレールに乗れば一生安泰が見えている。西行はある月の夜、芸術の悪魔に魅入られてしまったのだ。西行の深い深い孤独の旅はここから始まる。

さびしさに 堪えたるひとの またもあれな 庵並べん 冬の山里 (西行)



1217 a woman

2015年12月21日月曜日

日本変人列伝二 池大雅

無欲の人。妻の玉蘭ともども絵に親しむ。書画の報酬を得ても扇を開いてその上に受けとり、中身を改めることもなく箱に放り込んだ。貯まった金銭は惜しげも無く社寺に寄付したり、時に泥棒が壁に穴を開けて持っていったという。その穴さえ涼しくなって好都合と喜んだとか。絵筆を持つその手で金銀をつかむということが生涯なかったのではと思わせるほど俗気や物欲を寄せ付けなかった。髪はぼうぼう、服は垢だらけ。しかし一旦筆をとればその絵は気高い別次元の世界。あの田能村竹田が「大雅先生は凄いわ!びっくりポンや!」みたいなことを書き残している。



1215 a woman

2015年12月18日金曜日

食っちゃ寝エ節

(一番)
聖徳太子も ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
織田信長も ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
猫もカエルも ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
生きてりゃみんな ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
大したこたアねエ 大したこたアねエ

(二番)
ナポレオンも ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
アインシュタインも ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
亀もカラスも ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
生きてりゃみんな ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
大したこたアねエ 大したこたアねエ

(三番)
社長も上司も ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
かわいいあの子も ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
タコもミミズも ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
生きてりゃみんな ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
大したこたアねエ 大したこたアねエ

みんなみんな同じじゃねえか
生きてりゃ毎日ぃ ♪食っちゃ寝エ食っちゃ寝エ
大したこたアねエ 偉かなんかねエ


詞ができた。人生の応援歌だ。十番くらいまでならすぐできる。誰か曲つけてくれないだろうか。石川さゆりに歌ってほしい。吉幾三では近すぎる。美空ひばりが生きていればなあ。演歌系歌手集合で「we are the world」みたいに紅白でやったらどうだろう!誰か音楽プロデューサーは見てないか!AKBのやつみたいに素人衆が街や職場単位で歌って踊ってくれるぞ。盆踊りの定番にもなるぞ。おれは酔ってなんかねエ!



song

2015年12月15日火曜日

人間なんてな

人間なんてな
食って寝るだけじゃ
男も女も 老いも若きも
食って寝て 起きたらまた食って
春夏秋冬 晴れても降っても
くりかえし くりかえし
人生そんなもんじゃ
わしゃ とうから知っとった

大臣も社長も坊主も、有頂天の人もどん底にいる人も、そして世界の芸術家も変人も。食っちゃ寝、食っちゃ寝かあ。おぎゃーと生まれたら死ぬまで繰り返し繰り返しの人生かあ。みんなおんなじや。みんなお乳ほしがって泣いた赤子のなれの果てや…



1204 a baby

2015年12月11日金曜日

日本変人列伝一 葛飾北斎

「この千年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」(ライフ/1999年)に日本人で唯一選出されたのが北斎先生。生涯三万点の作品。毎日一点描いても83年かかる。絵一筋、他のことには一切無頓着。家はごみ屋敷、住めなくなったら引っ越し、米屋が請求に来ても「そこの包みの中からもってけ!」。大名家から絵の注文があっても頼み方が気に食わないとほったらかし。火事になって家に火の手が及んでも家財道具(たいしたものはなかっただろうが)も描いた絵もそのまま、絵筆だけを持ちだした。
長生きしたが、「70歳までの絵は駄作。100歳まで生きたらまともな絵も描けるだろうに」と言ったとか。日本が世界に誇りたい変人の代表格。雅号の北斎は「あ」をつけたら「阿呆くさい」からつけた洒落という説もあるがこれはどうだろう。

山鳥の図。う~ん、百まで生きても…



1203 yamadori

2015年12月9日水曜日

ゲテモノ

「お前の絵はゲテモノだ!」そんなことを言われながら自己を貫き通した絵師がいる。
片岡球子。構成の感覚が異常だ。銭湯の脱衣場にでもかかっていそうな俗っぽさがある。富士山をバックに牡丹やひまわりなどの大柄な花を描いた絵などは特にそう。日本人には珍しい美意識(繊細さに欠けるという意味)だ。
西洋でも風変わりな画風で知られるルドンという画家がいるが、モチーフは変わっているが絵自体は至極まっとう。ゲテだろうが何だろうが、どんどん突き詰めていくと純化し、素朴な強さや新たな美が生まれるということだろうか。この一点を貫く強靭な愚直さがないととても無理だが。強烈な我のひと。103歳で没。生命力もすごい。

気分をかえてみたらゲテではなくヘタだった。



1201 a stationmaster

2015年12月4日金曜日

長生き

ピカソ92歳。マティス84歳。モネ86歳。ミロ90歳。シャガール98歳。ミケランジェロ88歳。長寿国ニッポンはもっとすごい。奥村土牛101歳。中川一政98歳。梅原龍三郎98歳。横山大観89歳。葛飾北斎89歳などなど。長生きするには絵をかけといわんばかりの壮観である。

しかし、現世ですでに身を立て名を挙げた絵師ばかりだ。なるほどなあ、と思ってしまう。



1201 a woman


2015年12月3日木曜日

求む芸術家。

探検家シャクルトンが南極隊員を募集したときの広告をもじってみた。

求む芸術家。
至難の道。報酬のアテなし。
極貧。暗黒の長い日々。耐えざる不遇。
生活の保証なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。ただし死後。

cf:オリジナルは「求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る。アーネスト・シャクルトン」

超ハイリスク、ノーリターンの世界。普通、賭けにはならない。しかし。存命中に成功すればウルトラハイリターン(巨万の富)も夢ではない。世界的な名声を後世にまで残すことができる。シャクルトンには大勢の応募があったが、こちらはどうだろう。芸大が潰れたという話も聞かないので、毎年一定の学生は集まっているようだ。卒業後ほとんどは給与生活者になるのだが。



1130 a woman




2015年12月2日水曜日

極道と芸術

世界に名を残すような芸術家は我のかたまりだ。道一筋。他のことにかまけるゆとりはない。地域の役員なども引き受け、ひとの面倒見もよく、仲人の口なども手がけ、近所の婆様と道で出会ったら「おばあちゃん、最近腰の具合どう?」などと愛想よく声をかけ、庭の手入れも行き届き、ゴミ出しのルールもきちんと守り、政治・スポーツ・芸能の話題にも明るく・・・そんな芸術家はいるはずがない。世間様とのおつきあいは犠牲にしないと創作の道は極められない。世間に背を向けるとお金は入らないから、当然極貧。それでいておんなたらし、アル中、性倒錯、粘着気質、博打好きだったりするから、手がつけられない。
何かを得るには何かを捨てねばならない、というが、その道以外の全てを(人生も!)犠牲にする覚悟がないと芸術は微笑んでくれない。芸術は極道芸なのだ。



1127 a woman

2015年12月1日火曜日

ヘンリー・ダーガー(Henry Derger)

1973年アメリカ・シカゴ、みすぼらしい一人の老人が街の貧民施設で死んだ。身寄りはない。寡黙で周囲との交流もなし。掃除夫をしながら長く安アパートで暮らしていた。アパートの大家が老人の荷物を整理中、たくさんのゴミ同然のがらくたに混じって、三百点以上の絵と古いタイプライターで打ち込んだ膨大な量の原稿(15000枚!)を発見する。

絵と原稿はその後「非現実の王国で」というタイトルで発表され注目される。「世界最長の物語」「世界一有名な無名画家」など、ヘンリー・ダーガーは一躍世界の人になる。81年の人生を費やして、黙々と、発表するあてもない作品を書き続けて死んだ。世に問いたい、そんな色気の微塵もない創作。芸術とか作品というよりも、ただ自分のためにだけ刻む。こういう創作もあるのだと。

略したら「ヘンダー」。とびきり変人の一生。



1126 Henry Derger

2015年11月30日月曜日

変なおじさん

芸術家は「ろくでなし」で「変人」だと書いたが、真の創作というのは破壊(過去の方法論や価値観を壊す)でもあるので、そもそも変な人でないと原動力が出てこない。普通の人は既存のレールに乗って真っ当な人生を歩もうとするし、その方が安全安心で賢い選択だ。美術、伝統芸能、諸道など、芸術的な世界であっても、どこかの流派(権威)に属して、その流儀をなぞるのが処世の常道というもの。これに背を向けるのだから、まずは業界(権威に連なる同業仲間)から冷たい目を向けられる。オキテを無視する異端者の扱いだ。冷や飯にもありつけない茨の道が待っている。しかも、何をしているのか分からない、生活態度や行動が変、不気味・・・など世間からも爪弾き。こうして変なひとはどんどん変になって、変なひとのまま一生を終える。そんな変なひとの中から百年にひとり、天才が生まれる。しかし天才と言われるのは死後であって、生きている間は単に「変なおじさん」なのだ。



1124 a woman

2015年11月27日金曜日

変人

芸術家は一生を棒に振る「ろくでなし」と書いたが、それだけではない。絵にしろ音楽にしろ、創作の世界に身をおいて、一生かけて何をやるのか。「よいものをつくりたい!」そんな曖昧な目標ではとても一生は過ごせない。「誰もやってないこと、新しいものはないか」これに尽きると思う。ひとがやっていることを追いかけても「唯一無二」にはなれない。「唯我独尊」こそ芸術の真情。後世の芸術家ほど大変だ。偉大な先人の足跡だらけの道を行かねばならない。

ひとと同調しながら生きていくことが習いになっている世の中で、誰もいないところを探すのは変人でないとできない。大勢して、こっちに行けば、お金も入るし、生活できる、家庭円満、夫婦和合、みんなで決めて責任分担、こたつで煎餅・・・こんな場所からは決して新しい芸術は生まれない。芸術家は偉大だ。



1120 a woman

2015年11月26日木曜日

太地喜和子

よい女優には匂いがある。もちろん男の場合にも当てはまる。演技に漂う人間臭。それだけ存在がリアルで、生々しく感じられるほどに役柄に染まっているということ。匂いのしない役者が増えた。そこにいるのが役柄の人物ではなく役者個人なので、役が変わってもいつも同じ。太地喜和子からはおんなの匂いがこぼれるようだった。1992年没。48歳。

よい絵もきっと匂うのだろう。



1119 kiwako taichi

2015年11月25日水曜日

寒い日

山はこれから冷えてくる。冷暖房のないがらんとした部屋で絵を描いているので、これから寒さ対策が必要だ。エアコンも何もない昔、かじかむような寒さの中で絵筆を振るうのは大変だったろう。問題は指先、まさか手袋をするわけにもいかないしな。小さな手あぶり用の火鉢なんかいいかもしれない。木炭画に火鉢は合うだろう。削った炭の粉はそのまま燃やせばいい。しかし炭をおこす手間が大変だ。冬は寒いから繊細な描き込みより、大振りな早描きがよさそうだ。荒々しい力強さに溢れた傑作だ!という世界の名作が実は寒かったから、これはきっとありそうだ。

モデルは西洋人。しかしどう見ても日本人。



1118 a woman

2015年11月24日火曜日

ろくでなし

芸術は食えない。大名や大寺から依頼を受けて襖絵を描いたりする高名な絵師はいたがごく一部の話。西洋でも貴族やパトロンに抱えられ衣食が満たされればまずは現世の大成功といったところ。ほとんどは下積みのまま食うや食わずは知れたこと。ひとつの壺や絵に何億、何十億というのは最近の話(桃山時代に茶道具に狂って大金を投じる大名もいたが)であって、そんなものは作った本人には何の関係もないことだ。こんな当てどのない世界に身を落とし、悶々のうちに一生を費やすというのだから、芸術家ほど「ろくでなし」はないだろう。大根のタネでも蒔いている方が余程手応えが確かだ。これは現代でも状況は同じ。だから尊い。

西洋人を描いてもどうしてか日本人ぽくなる。



1117 a woman

2015年11月23日月曜日

評価などというものは

生きている間は世の中にさっぱり受け入れられなかったものが、死後評価が一変し世界的な名声を得ることがある。創作の世界でこういう例は多い。絵画ではなんといってもゴッホ。まったく見向きもされず、生前売れた絵はたった一枚というのは有名な話。彼の絵が家の壁に空いた穴を隠す「ボロ隠し」に使われていたという。その友人のゴーギャンも絵では生計が立たず、雑多な仕事で食いつないでいた。
その対極の存在がピカソ。絵の天才は絵の商才にも長けていて、自らの価値を高め絵を高く売るツボを心得ていた。彼が死んだ時の総資産は実に数千億円。しかしピカソは余りに極端な例外、今の時代では受け入れられなかったと思う。多くの画家はお金に縁の無い清貧の世界に身を置きながら、来る日も来る日もせっせと絵筆を走らせるだけの一途な人生だったはず。そういう境遇や境地であればこそ、生まれた作品に俗気が抜け香り立ってくるというものだ。



1113 a woman

2015年11月20日金曜日

天才

上手な絵というのは技術の問題なので、やっていればうまくなる(はず)。よい絵というのは余韻(余剰)がたっぷりあって伝わってくる絵だとしたら、技術の及ばない才能の領域に踏み込むことになりそうだ。しかし世界に名だたる絵の巨人たちの作品を観て思うのは、そんな世俗的な上手下手、よい絵かどうかの評価を超えた、圧倒的な独創の存在!ピカソ、ルノアール、ゴッホ、北斎、大観・・・誰が見てもひと目でそれと分かる独自の画風がある。タッチ、スタイル、型、雰囲気、味わいとも言えるような、その人ならではのものがあるから、絵の存在感が違ってくる。

絵の天才とは抜きん出た個性、それを確立しえた人たちのこと。それがどーんと立ち上がれば、ちまちました評価など突き抜けてしまうのだろう。



1112 a woman

2015年11月19日木曜日

名作と凡作

立派な美術館で、豪華な額装に収められて、薄暗い間接照明で、誰様の何という絵で、何年に描かれて、どんな画法でとプレートの説明がつく絵を観る。その絵が、学校の廊下に貼ってあったら、果たして同じような印象をもつのか。入れ物ばかり見ていて、中身は見えてない。服装や雰囲気に騙されて、人物の印象を決めつけてしまう。そういう体験は多い。正直に言って美術館に収まっている作品でも「どこがいいのかさっぱり…」というのも多い。「まあ、こういうところにある作品なので立派なのだろう」とこちらの観る目の無さを恥じて恐れ入ってしまうのだ。世界的に名のある作家なら、その名前だけで有難がってしまうが、そこは人間のやること、実は凡作というのもありそうだ。
絵のちからが、実は美術館の威厳や絵の横の小さなプレートの威光だとしたら。芸術作品の感動というものも、なにやら心もとなくなってくる。



1111 a woman

2015年11月18日水曜日

絵と音楽

絵は眼から。音楽は耳から。入口は違うが、絵は音楽のように響きのある絵を、音楽は絵のように色や景色が見える音を、という話を聞く。絵に限ると、響きだけではなく、匂いや手触り、感情など別の感覚にアピールすることも大事で、要は体全体に情感の波が届くような絵がよい絵ということだろう。しかし、だとしたら、絵の質もさることながら、それを鑑賞する側の感性や資質が問われることになる。そんな頼りないことでいいのだろうか。たぶん、絵に限らず創作とはそういうものだろう。感動と無価値。そのあいだにあって、漂っているもの。

上の絵、汚し過ぎ。下の絵、駄目。



1110 a man

1109 a man

2015年11月17日火曜日

Nicolai Fechin 音楽のような絵

絵は対象を限られた平面の中に描いた静止画だけれども、動くものがないといけない。たぶんそれは、観るものの心に響いてくるような情感のことを言うのだろう。音楽にテンポやリズムがあるように、絵や書にも、作家の息遣いが、タッチの緩急、強弱、伸びやかさとなって現れる。こうした余剰がニコライの絵には充満している。音楽のような絵、とはこういう絵のことだろうか。

今回はニコライの描いた肖像画の模写。栗色のインクで汚しを入れてみたが、余計なことをしてしまった。余剰ではなく余計。



1106 N.F hommage

2015年11月16日月曜日

Nicolai Fechinにうなる

ニコライ・フェーシン。1881年ロシア生まれ、のちアメリカに移住して活動した画家。1955年没。このひとのタッチに「うーん…」となる。写実と飛ばし(ボカシではない簡略化の意味)のバランスが絶妙、特に汚しのテクニックが味わい深い。しばらく先生になっていただいて、新しいタッチを探すことにする。今回また肖像画に戻る。コーヒーを染み込ませたティッシュで画面を叩いてみたりしたが、思ったほど汚れの効果がでない。



1105

2015年11月13日金曜日

仏像画

デッサンで石膏を描くというのは一般的で、作品例も多い。大勢で一度にデッサンするには便利な素材だが、どうもいまさらという気がする。そこで思いついたのが仏像。土門拳の「古寺巡礼」に良い写真があるので、これを見ながら・・・と考えた。手始めにネットで仏像の画像を探して描いてみる。天下の名人の手による彫刻の力強さを表現するには大判の木炭紙でざくっと、繊細さを犠牲にしてでも荒々しい大胆さが大事かと考えた。考えたけれど、なかなかそうはいかない。仏像ばかり何十年も何千点も描いていけば、俵屋宗達に近づけるか。そりゃ、あんた、無理というものや。



1030 butuzou

1102 kannon

2015年11月12日木曜日

なかだるみ

楽しみで絵を描く。絵のある生活。ということだったが、それがしだいに馴染んでくると、始めた頃にあった「新鮮なときめき」がなくなる。「出逢った頃のような・・・」が徐々に薄れて、浮気心がめざめる。裸も人物画も飽きた。人間以外になにかないのか。とふらつきだして動物に走る。

牛。お前の目はいつも深くて哀しい。



1027 cow

2015年11月11日水曜日

四ヶ月

6月から始めた木炭画もこの絵を描いたあたりで四ヶ月が経過した。どこかで読んだが、絵は三ヶ月で少し上達、コツや要領のいろはが見えてくる。その次が三年。三年続けると、一通りできるようになって様になってくる。しかしその次は三十年!つまりここから先は才能の問題で、一生かけても駄目なものは駄目、ということらしい。「石の上にも三年」という言葉があるように、まずは続けることが大事ということ。しかし技術は続ければ身につくだろうが、そこから先が実は大変というのが三十年!の話。何の世界でも同じだろうが、ゴールがないから道は果てしない。

さて四ヶ月、中だるみというのか、何を描いたらいいのか、このあたりからぐらつき始める。
上と下で随分違うが、これは用紙の差。用紙が変われば、タッチが変わる。



1020 trout

1022 carp

2015年11月10日火曜日

ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)

書斎派というよりも行動派の印象が強いが、それは作風や戦場を駆けまわった経歴からくるもの。しかし実際はそんなに単純に割り切れるものでもない。「老人と海」でノーベル文学賞を受賞しながら、航空機事故による怪我で授賞式は欠席。三度の離婚と四度の結婚。晩年は事故の後遺症や躁うつ病に悩まされる。1961年ライフル自殺。61歳。波瀾万丈とはまさしくこの人のこと。



1019 Ernest Hemingway

2015年11月9日月曜日

阿久悠

昭和歌謡の風景を変えた。とりわけ歌の世界の「女」を変えた。
「心が忘れたあのひとも 膝が重さを覚えてる 長い月日の膝枕 煙草ぷかりと ふかしてた」(雨の慕情)
「すねて十九を越えたころ 細いナイフを光らせて にくい男を待っていた」(懺悔の値打ちもない)
「神がくれたこの美貌 無駄にしては罪になる 世界一の男だけ この手にふれてもかまわない」(狙いうち)
阿久悠はしかし男の書き手。彼が嫉妬した才能があったとしたら、それは阿木燿子のような、女にしか描けない女の体温を書いたひとだと思う。2007年没。70歳。



1018 Yuu Aku



2015年11月6日金曜日

マリ・キュリー(Maria Curie)

ノーベル賞を2度もらった女性。しかも女性で初めての受賞。ノーベル賞以外にも数々の表彰や栄誉にあずかっているが、そのほとんどは最初のノーベル賞受賞後。それまでは長くどん底の環境にあえぐ。彼女の生涯の多くは経済的困窮や女性差別、国籍(ポーランド出身でフランス在住)の壁、醜聞報道など、さまざまな社会的圧力との闘争史でもある。たとえ学問の世界においても「頑張る女性・できる女性」への偏見は大変なものだったようだ。1934年没。66歳。



1017 Maria Curie

2015年11月5日木曜日

チャイコフスキー(Tchaikovsky)

チャイコフスキーのある一日。朝、起床後お茶。語学(英語)の勉強と読書。終わると軽めの散歩。9時半から昼すぎまで仕事(作曲)。午後1時昼食。その後2時間ほどかけて散歩。夕方4時に戻ってお茶。5時から7時頃まで仕事。夕食後寝る11時位まで、手紙を書いたり、読書などで気ままに過ごす。この生活パターンができてからは終生守ったようだ。特に毎日2時間の散歩は欠かせない日課で、これは健康のためだったという。バレエ音楽や協奏曲、交響曲で多くの名曲を残す。私生活でもエピソードが多い。1893年没。53歳。



1008 Tchaikovsky

2015年11月4日水曜日

エリック・サティ(Eric Satie)

音楽界の異端児と評されるフランスの作曲家。若い頃パリのシャンソン酒場で演奏していたこともあったらしい。音楽に対して過去の伝統的な手法や規範に囚われず、彼独自の革新的な試みを用いたスタイルは周囲に大きな影響を与え、現代音楽の祖とも言われる。絵の世界でも音楽の世界でもこういう「破壊者」が突然現れ、それ以降の新しい道をひらく。それにしても彼の作品につけられた題名のユニークさ!「夢見る魚」「干からびた胎児」「はた迷惑な微罪」などなど。風変わりな個性がゴツンと音をたてて頭に落ちてくるようなタイトルだ。1925年没。59歳。

手が変。ここはウソをつけば良かったか。



1007 Eric Satie

2015年11月3日火曜日

ベーム(KARL BOHM)

ウィーンフィルの名誉指揮者。動きの少ない指揮には華麗さはないが、渋みの効いたいかにも通好みという印象。アンチ・カラヤン派からの支持も多く、これぞ正統という評価を集めた。楽団員に対する指導は厳しく、なかなかのうるさ型だったらしい。日本でも四度公演、最後の来日は1980年。日本最後の公演が、ウィーンフィルとの最後の演奏になる。1981年没。86歳。

雰囲気を変えてみたくなったが、雑な印象の絵になってしまった。背景の塗りは不定形にするべきだった。



1002 KARL BOHM

2015年11月2日月曜日

ヘレン・ケラー(Hellen Adams Keller)

エジソン、野口英世、キュリー夫人らと並んで日本で最も読まれた伝記のひと。日本にも三度来日。画像も多く残っている。この絵は若い時のもの。「私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。何もかもできるわけではないが、何かはできる。だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない」(ヘレン・ケラー語録より)。神は彼女から視覚や聴覚を奪った。しかし沢山の時間を与えた。1968年没。87歳。



1016 Hellen Adams Keller

2015年10月31日土曜日

フルトヴェングラー(Furtwangler)

カラヤンは人気者という感じがあるが、その先輩格にあたるこちらには「熱烈な信者」が多い。20世紀で最も偉大な指揮者としてこの名前をあげる人も少なくない。長身痩躯、長いつる首、ゲルマンの頑固一徹が偲ばれる風貌。しかし音楽は繊細で情感豊か。このひとのアダージョを聴くと体が溶け出すような感じになって、なぜだか知らないがそのまま眠ってしまうことがある。活動期はナチスドイツが台頭した大戦の時代に重なる。1954年没。68歳。

首から下は簡略にしたほうがとも思うが、この人は首に特徴があるので、結局こうなった。



1001 Furtwangler

2015年10月30日金曜日

カラヤン(Karajan)

20世紀を代表する指揮者としての名声とは別に、映画俳優のような渋い容貌、黒づくめの衣装に白いマフラーを好んだという艶やかな装い、自家用ジェットやスポーツカーを乗り回すスターのようなかっこよさは世の多くの人を魅了した。貴族の家に生まれ、音楽の英才教育を受け、その音楽的才能が開花してからは順風の人生。富も権力も喝采も手にした男は、同時に羨望や半目、嫌悪の対象でもあったことだろう。成功には等量の苦難が、才能には応分の悲劇が花を添える。カラヤンはあまりにも揃いすぎるのだ。晩年はしかし持病に苦しむ。1989年夏、自宅で死去。81歳。

絵が硬い。きっとモデルのせい。



0930 Karajan

2015年10月29日木曜日

絵はウソをつく

絵には有るものが無かったり、より大きくなったり小さくなったりということがある。木炭画でも細部を簡略化したりボカシたりするのは実際にそう見えるからではなく、絵の効果を高める技法(単に面倒だからというのもあるけど)としてやっている。人間性の解放が叫ばれ、絵も印象や主観が尊ばれるようになった頃から、絵は作家の意図を表現するものになってくる。こうなるとそれはもうフィクション。
リンゴの絵は、目の前のリンゴを描いたのではなく、リンゴを題材にしたフィクション。きっとそれは実際のリンゴよりもチャーミングだったり、毒々しかったり、いびつだったりする。心に残る、鮮やかなウソをつきたいものだ。


0927顔

2015年10月28日水曜日

似ているか

よく知られた顔がモデルだと似てるかどうか気になる。「似顔絵」という言葉がある通り、関心がそこへいってしまう。知らない顔だと気にならないかと言えば、そうでもない。対象をできるだけ忠実に描こうと、意識が向かう。まずは写実。しかし作品として出来上がってくると、似てるかどうかは関係なく(知らないから)、存在感や生命感、風貌の味わいみたいなものに関心が向く。無名の民を描くほうがトクになる、というのが今日の結論。



0925顔

0926顔

2015年10月27日火曜日

若さ

老人ばかり描いていると若い人も描きたくなる。シワがないぶん早く仕上がる。顔の味わいはないけど、いきいきとした表情やいのちの輝きみたいなものが出てくれば成功だと思う。歯を出した笑顔は特に難しい。歯の間の線が目立つといけないし、線のないマウスピースのようになっても悪目立ちする。
歯の美しい笑顔は魅力的だが、絵にするのは厄介だと知る。



0916少年A

0917少女A

0918少女B

2015年10月26日月曜日

ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)

「わたしたち老人が、追憶の絵本を、体験したものの宝庫をもたなければ、わたしたちは何であろうか!どんなにつまらなく、みじめなものであろう。しかしわたしたちは豊かであり、使い古された身体を終末と忘却に向かって運んでいくだけでなく、わたしたちが呼吸している間は、生きて輝いているあの宝の担い手であるのだ」
ヘルマン・ヘッセ『人は成熟するにつれて若くなる』より



0911 Hermann Hesse

2015年10月23日金曜日

絵になる顔というのがある。美醜を超えて凝視に耐えられる顔。内面から滲み出すなにか、人生の歩みの刻印を留めた顔。そんな顔に出会うと絵にしたくなる。描いている間に、この人はどんな人だったのか想像するのも絵を描く楽しみだ。若い人より老人の顔が多いのは、顔に刻まれたいろいろが有名無名を問わず多くのことを語りかけるからだろう。

0909顔

0910顔

0915顔