2016年2月5日金曜日

日本変人列伝四 尾崎放哉

山頭火とともに漂泊の俳人と呼ばれる。一高(東大)卒業後いったん会社勤めをするが、子供の頃から読書や俳句に親しんだ繊細な文学青年は組織社会に馴染めず、酒癖の悪さも重なって退職。数度転職したが失敗し、ついに実社会からドロップアウト。その後各地を托鉢放浪し、寺に寄宿しながら句作に励むも、泥酔して追い出されたり、寺の内紛に巻き込まれたりで落ち着かず、しだいに肺の病気も悪化。最後は「海の見えるところで」と小豆島の寺に辿り着き、八ヶ月足らずの孤独な生活の果てに1926年死去。41歳。最期を看取ったのは隣家の老婆ひとりだっという。孤独と病がひっそりと寄り添う流浪生活のなか、三千句の作品を残す。吉村昭が「海も暮れきる」で尾崎放哉の日々を描いている。

創作はある種のひとにとって最後の逃げ場でもある。娑婆に居所なく、もはや創作以外に退路を絶たれしものの吹き寄せられるところ。

「咳をしてもひとり」(放哉)



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