2016年2月8日月曜日

日本変人列伝五 種田山頭火

尾崎放哉と並ぶ自由律俳句の巨星。裕福な地主の家に生まれたが、のち零落。始めた書店も失敗、上京して図書館に勤めるも、病気退職。九州で出家して托鉢乞食僧で生をつなぐ。尾崎放哉の死後、自身も九州から全国各地を西へ東へと漂泊。最後は松山の地で1940年永眠、57歳。妻子との離別、自殺未遂事件、無銭飲食による警察沙汰、酒に溺れ病気と貧困に喘ぐ生活など、その生は常に破滅的であったが、生涯8万句以上の作品を残す。彼の作品や才能を愛した人との知遇を得、こころの中は知らず、死ぬ間際は孤独ではなかった。

やはり彼も創作あればこそのひとだった。普通のまっとうな生活を営む能力に欠けた自らをなまけもの、わがまま、きまぐれ、虫に似たりと自嘲している。

「分け入っても分け入っても青い山」
「まっすぐな道でさみしい」
「うしろ姿のしぐれてゆくか」 (山頭火)



0205 santouka

0 件のコメント:

コメントを投稿