2016年3月31日木曜日

背中が痒い

「おまえはいいなあ・・・うまれかわりたいほどだわ」
昔、よくそう思った。疲れていたのかもしれない。昔の猫は放し飼いが普通だったから、外に行ったまま帰ってこない猫がいた。子供の頃、飼い猫が忽然と姿を消し半泣きで探しまわったが、見つからなかった。内田百閒はその著「ノラや」で、やはり飼い猫が行方不明になり、猫探しの新聞広告やチラシを撒いたりして大騒ぎ、ものも食べられないほど憔悴し、毎日泣き暮らしながら捜索する様子を描いている。大先生がネコ一匹でこうもなるかと可笑しかった。谷崎潤一郎も「猫と庄造と二人の女」で、猫を巡る男と女の怪しい関係を描いているが、本人も大層な猫好きだった。

知人の猫もいなくなって諦めていたら、立派な邸宅の屋根で寝ているのを偶然に発見。その家の主に聞くとある日ひょいとやってきてそのまま住みついているとの話。別の名前をつけて可愛がられ、毎日おいしいものを食べていたのか毛艶も以前よりよかったとか。家に連れ帰ってみたものの、なんだか不満そうにしている。すまないねこんな貧しい家に戻されて、と思うと憎らしくなってきたと語っていた。



0323 a cat

2016年3月30日水曜日

猫の目

野良猫はもちろん、飼い猫でも、知らない人間を見るときの目つきは鋭い。体の動きを静止させ、全身に緊張感を漂わせ、じっとこちらを見ている。悪意のないことを見せようと、膝を曲げ、愛想笑いをし、舌をちょんちょん鳴らして媚びてみても一切無視。まず近寄ってくるネコなどいない。こんにち、あんな目つきに出会う機会は少ない。ひなびた農村に迷い込んで、あぜ道などを歩いていると、遠くの農家の庭先でじっとこちらを見ている婆さまがいたりするが、あの目ぐらいだろうか。あの目にもたじたじとなる。まさか舌を鳴らすわけにもいかず、早々に立ち去るのみである。



0322 a cat

2016年3月29日火曜日

電車にて

絵を描いていると人の表情が気になる。電車の中は観察にもってこいで、眠りこけている人などは遠慮なく観察できるが、さすがに写真を撮るわけにもいかない。スマホをいじっている女生徒、小旅行に行くらしい高齢者グループ、学校帰りの小学生など、いろいろとよい素材の宝庫なのだが、頭のなかに留めるだけなのが惜しい。作りや装いのない普段の何気ない表情にこそ、その人の命が宿っているような気がする。



0320 nude

2016年3月25日金曜日

男の裸

水泳の選手などを見ると男の体も美しいとは思う。美術学校の教材はいまでもギリシャやローマ彫刻の石膏像が使われているようだ。しかし描きたいとは思わない。ごつごつとした筋肉が段々に盛り上がった腹筋、胸筋の厚い盛り上がり、太い首から顎にかけての動物的なライン…自分が男ということもあるのかもしれないが、肉臭ばかりが漂ってきて絵にする気になれない。男の顔はいいし、背中も悪くないのだが。



0319 nude

2016年3月24日木曜日

楽しいヌード

このところ顔ばかり描いていたが、半年ぶりの裸婦。時間を置くと新鮮味があって楽しい。顔は狭い面積にパーツがいろいろあり、シワも毛も凹凸もあるし、微妙な表情もあるし、こういうのばかりが続くと、細工ものをいじるみたいなチマチマした気分になってくる。たまには広々と伸びやかに大きな山の稜線でも描きたくなる。裸婦は背中から腰、足にかけてのラインが伸びやかで、豊かで、なだらかで、美しい造形物だ。神経を使う細かな部品がないのが何よりいい。



0318 nude

2016年3月23日水曜日

懐かしい技法

元絵はヤン・ファン・エイク(1441年没)がメタルポイントで描いた肖像画。メタルポイントは12世紀頃から17世紀にかけて採用された古典的絵画技法で、銅や真鍮などを鉛筆の芯のように尖らせた鉄筆を使い、表面加工した画板に描いていく。金属が画板で削られて出来る金属粉が「絵の具」になるのでやり直しがきかないが、硬く尖った先端を使っての微細な表現が可能で、時間の経過によって金属粉が酸化して独特の風合がでてくるのが特徴。
メタルポイントは黒鉛(鉛筆)の登場で廃れたが、ほかの道具では出せない素朴な味わいに魅力を感じる。木炭は硬軟でいうとメタルポイントの対極に位置する画材といえる。元絵は牧師さんのような肖像だったが、作業着を着た仏像のようになってしまった。



0317 for JAN VAN EYCK



2016年3月22日火曜日

努力か才能か

量を積み上げると質的な変化が起きる「量質転化の法則」というのがあって、早い話がいっぱい量をこなせば質が上がり、質が向上すれば量もさばけるようになる、ということらしい。いろいろなものに適用できて、スポーツもそう。仕事も勉強もそう。およそ技能が関連するものは、ぐだぐだ御託を並べるよりも、とにかくいっぱい量をやることが大事。世界の一線で活躍しているような人は、誰よりも早くからボールを蹴り始め、誰よりも多く練習しているということ。一流の芸術家は誰よりも数多く創作していたということなのだ。量を努力、質を才能に置き換えると、量質転化は努力すれば才能が開花する、となる。才能の無さを理由にするのは、努力を厭う怠け者。千里の道も一歩からとは、平凡すぎる哲理だが、意外とそんなものかもしれない。持って生まれた資質の存在は否定できないが、これが量的な積み重ねと出会った時に、才能というものに変化するのだろう。ヘタな絵も数描いてればそのうち…



0316 a woman


2016年3月18日金曜日

少年の頃

春休みは宿題がでない。心置きなく遊べるのだが、夏休みや冬休みと違ってあまり記憶がない。子供は桜が咲いた、菜の花が咲いたといって喜ぶわけではないし、鶯などもいっぱい鳴いていたと思うが、そんなものにしみじみと聴き入っていたらたぶん気色の悪い子供だろう。卒業も入学もからまない、進級だけの時は特にあやふやだ。当時の昭和の子供たちはいったい何をして過ごしていたのか。おいおいこれも思い出せたら。
口髭のあるニヤけた男の肖像画を描くつもりだったが、途中から気が変わって少年になる。別にいいのだ。



0315 a boy

2016年3月17日木曜日

春ふたたび

今度は大丈夫だろう。室内の温度もすでに10度を超えた。木蓮の大きな蕾もほころび、みつまたのぼんぼりの様な花もみかける。庭には沈丁花、水仙、ヒアシンスの花が咲き、朝からウグイスやシジュウカラが頻りに鳴く。うれしいものは、待たされたほうがいい。コンサートの開演、映画の始まり、人気店の料理…大抵少し待たせて焦らされるが、これは半分は演出や効果を考えてのことだろう。意外に早く来てびっくりするのは、税務署の納税通知、歯医者からの検診案内、地域の役員の輪番など。あまりうれしくないものが多い。



0310 for Sargent John Singer 

2016年3月16日水曜日

道具箱

いたって道具立てが簡素なのが木炭画のよいところ。木箱にごちゃごちゃと用具が放り込んであるが、要は木炭と紙があれば済む話。木炭の種類は少し増えたが、ふだんよく使うのはそのうちせいぜい2~3種。スポーツと同じで道具を変えたからといって上手くなるものでもない。ピンとこないのを道具のせいにして、その結果が7~8種の木炭となった。分かっちゃいるがまだ増えそうだ。
短時間でさっと描き上げてみる。天才たちの素描にはなんともいえない味がある。迷いがないから線がいきいきしている。自分もあんな絵をと。結果がこれ。比べるまでもない。単に粗雑な絵になった。たぶん炭と紙が悪いのだろう…



道具箱



0309 for Sargent John Singer 

2016年3月15日火曜日

春の眠り

きれいに晴れた朝。箱根の山が白くなっている。昨日、丹那は冷たい雨降りの一日だったが、箱根では雪が降ったらしい。このあと気温が上がるそうなので、この景色も短いいのち、午後にはいつもの姿に戻るのだろう。このごろ眠くて仕方がない。日曜日など、朝食後しばらくしてうとうと、午後はこたつで昼寝、夜は早々と眠くなり、まるでネコ並みだ。いくらでも寝たい。いまも寝たい。「春眠暁を覚えず」ほどに一心に眠りこけるわけではなく、だらだらと眠るから眠り足りないのか。夏の終わりも眠くなるが、これは寝苦しさの蓄積が背景かと思う。春先は何だろう。考えるだけで眠くなってきた。



0315丹那から箱根方面を望む

2016年3月11日金曜日

なごり雪

今朝、小雪を見た。春先に雪が降っても驚くことはないのだろうが、さあ春だ!の出鼻をくじかれた格好だ。どうも調子がでない。仕舞い始めた冬ものがまた出てきた。
5年前の今日あの時、東京の小さなオフィスビルの5階にいた。横揺れで重いガラスの窓が勝手に開き、振り落されるのではと机の下に丸まった。あちこちで物が落ちたり割れる音がする。これまでとは明らかに違う揺れに、いつか来ると思っていたものがついに来た、このままビルが崩れて最悪ここで…(阪神淡路大震災の映像がよぎる)、キーンと耳鳴りがするほどの緊張感と圧迫感のようなものの下でじっと息をひそめた。静かだった。
その瞬間というのは、一刻一刻の揺れの成り行きに神経が集中して、ほかに何も考えられない。もっと安全な場所へ機敏に移動するといった行動もできない。ただじっとしている。自分以外のこと、例えば周囲の状況や、他の人がどうしているか、気にするのはもっと後になって少し落ち着いてからだ。家族すら思い浮かべられなかったことに心が痛んだが、あとで「まずは自分の身を。自分を助けろ!」が緊急非常事態の鉄則と聞いた。非常時は非情も許される。
しかし、震源地のような極限で生き残ったひとは、そばにいながら救えなかった命を自分の罪のように背負い込むことがある。自然災害だけでなく戦火、飢餓、事故、テロなど、多くの死の現場で、ぎりぎり生き残った人たちの足取りは重いことだろう。経験や記憶が重すぎる。



0308 a man

2016年3月10日木曜日

春とみせかけて…一気に引き戻された。今朝は鳥も鳴かない。ほころび始めた新緑や草花の芽もさぞかしびっくりして首をすくめていることだろう。彼岸まであと十日、それまではこういう上げたり下げたりが続きそうだ。季節の変わり目は、色でいうとグラデーション。境界がぼやけながら、色が段階的に強弱をつけながら変化していく。気がついたらすっかり色と風景が変わっていたということになる。春はことに緑色の変化が楽しめる季節だ。



0307 for Sargent John Singer

2016年3月9日水曜日

創作は穴掘りに似ている。みんな、それぞれの穴を掘っている。同じ穴でも、形も深さも、土の硬さもみな違う。自分の器量に応じて、こつこつ掘り進んでいく。孤独な作業だ。こんなことしていて、いったい何になるのか。金塊でも掘り出そうというのか。見渡せば周りの連中もただ黙々と掘っている。阿呆ではないのか。やめたやめた、俺はもっと別の穴を掘ろう。そう言って途中で投げ出すやつもいる。あっちにはもっとよい場所があるという話も聞く。
「おーい、聞こえるか。そっちはどうだ」仲間に声をかける。
「ダメだ。石くればかりだ。水まで出てきやがった」
どの穴も苦労だ。この穴も、ここまで身の丈こえて掘ってきたが、そろそろ抜け出せなくなりそうだ。暗い穴の底から見る小さな空は高くて青い。おや、これは何だ!骨ではないか。先人の骨だ。この穴にはすでに先掘者がいたのか…



0306 for Sargent John Singer

2016年3月8日火曜日

レンブラント(Rembrandt)

17世紀に活躍したバロック絵画の巨匠レンブラント。風車小屋がある粉屋の息子に生まれたが、若くして絵の世界で頭角を現し、特に人物画の人気が高かった。富者の娘と結婚してからは富と名声を背景に数々の作品を描いたが、浪費や投機にも手を染め始め、人生の暗転が始まる。妻や子供たちの死、愛人との訴訟問題、財産没収など、まさしく有頂天からどん底への転落。私生活は乱れ、不運が重なるが、彼の創作活動は衰えることなく、多彩な変遷を見せながら独自の深みを見せていく。1669年没、63歳。



0304 for Rembrandt

2016年3月7日月曜日

朝から雨。昨日からしとしと降り続く春の雨。かつて月曜の雨は気分最悪だったが、いまはそんな頃が懐かしい。雨というと、まず思い浮かべる昭和の名曲がある。ちあきなおみのデビュー作「雨に濡れた慕情」(1969年)。イントロが素晴らしい。ピアノとギターの叙情的なからまり。歌が始まる前から雨が染みこんでくる。

雨の降る夜は 何故か逢いたくて
濡れた舗道を ひとり
あてもなく歩く
好きで別れた あのひとの
胸でもう一度 甘えてみたい・・・
(作詞/吉田央)

もう一曲あげるなら「雨音はショパンの調べ」。原曲はイタリアの歌手が歌ってヨーロッパで大ヒットしたが、日本では小林麻美がカバーした。この日本語作詞は松任谷由実が担当している。こんな歌を聴いていると「今日はみんなやめた…」となる。



0303 a woman
 

2016年3月5日土曜日

うぐいす

桃の節句に合わせたように鶯の初鳴きを聞く。2月の温かい日に一度聞いたように思うが、その後冷えが来て沈黙、あれは気のせいだったことにする。たぶん本人もそう思っているだろう。気温が上がると野鳥たちが一斉に賑やかになって、春の喜びを伝えてくれる。これは山暮らしの楽しみのひとつで、春夏秋冬それぞれの季節ごとに顔ぶれを変えながら、身近に寄り添って暮らす山の仲間たちだ。そろそろ裏庭でフキノトウが芽を出すだろう。刻んで味噌汁に入れたり、麦味噌にからめて温豆腐に乗せると酒のあてになる。渓流釣りも解禁、河津桜は里のはもう終版、山の木はいま満開。山にも里にも野にも、待ち焦がれた季節がやってきた。



0302 a woman





2016年3月2日水曜日

日本変人列伝八 小林一茶

芸術家というのは作品をもって評価されるべきで、現実の人物像というものは、多少の歪み(変人ぶり)があっても作品の彩りとして美化されてしまうところがある。エピソードに関する伝聞というのはあやふやなものだし、歴史の風化というのもある。しかし、一茶の場合、自らが記録として書き残したものがあるので、そこから人となりが割合知れてくる。
俳句で食っていくための世俗的な世渡りの苦労、長者や権威への追従、弟と義母を相手取った十年に及ぶ遺産相続争いの泥々、五十を超えてからの三度の婚姻と荒淫の日々など、なんとも人間臭いというのか、およそ離俗とは真逆の濃厚な体臭が漂っている。ままならない世の中にあって、時に愁嘆、時に自嘲、くすぶる欲望を抱えながら、生涯二万数千の句。月よ花よのきれいごとではない、身悶えのリアルが一茶の創作の真髄だった。1828年没、64歳。



0226 a man

2016年3月1日火曜日

マリー・ローランサン

淡い色調の優美な女性画で知られたフランスの女流画家。彫刻家、詩人でもあった。パリのお洒落のシンボルとして、フランス上流階級の婦人たちの間で、彼女に肖像画を依頼するのが流行になるほどだったとか。
世界で唯一ともいえるローランサン単独の美術館が日本(長野・蓼科)にあったが、2011年に閉館となっている。1956年没、72歳。



0224 Marie Laurencin