2016年5月31日火曜日

知ったかぶり

齢とともに減ってきたとは思うが、「何それ?」が言えずに知ったふりをすることがある。プライドが邪魔をすることはもちろんだが、一旦相手の話の腰を折ることへの抵抗もある。

面倒なのは「…って知ってる?」と聞く人。イエスかノーしか答えはない。知ったかぶりを許すマイルドな日常会話は白黒をはっきりさせずに曖昧に流すのが作法というもので、知るか知らないかを明確に求めるというのは配慮に欠ける。その辺の機微を一向に解せず、最近仕入れた湯気の立つようなネタをこういう切り出しで披露してきたりする。
「知らない!」と勇気を出したら(こういう人には知らないと答えてあげるのが作法)、とくとくと知識の開陳が始まり、最後に「知らなかった?」と丁寧にトドメをさす。知ったかぶりの痛みや知識というものの薄っぺらさを知る人は、相手への配慮も働くから、「ネットからの受け売りなんだけど…」みたいな謙遜で矛先を丸め、決して相手の胸先に知識の有無を突きつけるようなことはしないものだ。

英会話を聴いていると、やたらと「you know」が挟まってくるが、これは「えーと」「あのう…」みたいなものだろう。まさか、いちいち「知ってるよな?」と確認してないと思うが、もしそうだったら相当面倒くさいことになる。


            
            知らんがな
0518 man

2016年5月27日金曜日

人生暗転電車

30年ほど経つが、いまだにトラウマになっている。電車の中。まん前に座っている品の良さそうな初老の女性ふたりが何やらぼそぼそ、声をひそめて相談している。嫁の悪口だろうか。まあ、上品そうな家ほどややこしいことがあるものだ。吊り革にぶら下がって遠くを見ながら、聞いてませんよ、そんなポーズをとっていた。
するとひとりが突然目を上げ、口に手を添え、そっと囁やくように言った。「チャック、開いてますよ!」



                            
0517 man


2016年5月26日木曜日

電車にて悶える

またやってしまった。階段を登っているとちょうど電車が来た。急ぎ足で登る。前を行く若い男性が飛び乗る。そのすぐ後ろから続く。ドアがしまって、やれやれ。発車。すると感じる!女性の目線。目を合わせるとすっとそらす。ん!この違和感は前にもあったぞ。周囲をゆっくり見回す。立っているのも座っているのも、すべて女性、おんなだらけ…やってしまった。女性専用車両。前に立っている若い男はスマホに夢中で気づいていない。お前は幸せなやつだ。おれは孤独だ。次の駅までが長い。いつもすぐに着くではないか。息が苦しい。おれは何も知らなかったんだあああ。



           そんな目でみないでくれ
0516 woman



2016年5月25日水曜日

おいてけぼり

最近のテレビはスタジオ見学者(観客)の「えええっ!!!」という驚きの声や大受けの爆笑が矢鱈と入って耳につく。あれは、予算の関係だろうが、スタジオに観客はいない。音だけあとの編集時に入れている。それが証拠に観客の映像が入ることはない。音響効果という仕事で、番組にライブな臨場感をもたせ、薄い内容でも盛り上がっている雰囲気を出すための演出。昔から、コント番組やアメリカのコメディ劇などで笑い声を入れる演出はあったが、とにかく最近の民放は過剰な依存ぶりで、ちょっとひどい。
これではみんなネットに流れるはずだが、ネットはネットで「号泣」「衝撃」「仰天」「爆笑」「暴露」「激白」「騒然」「感動」「絶賛」「炎上」「殺到」などの絶叫調の見出し語が満載。暇つぶしの埋草記事とはいえ、取材もしないでテレビを見て書いている記事のオンパレード。こういう見出し語がついたら記事はほぼ…


            「つまんねえんだよ!」
0515 man

2016年5月20日金曜日

強さと美しさ

「形態は機能に従う」という言葉がある。芸術や商業デザイン、建築の世界でよく言われる概念だが、これを大相撲の世界に強引にあてはめると、強い力士は美しいとなる。力士独特の体型は、重力が大きいほど相手に与える圧力が増して有利だが、スピードや技を繰り出す運動性能は重いと負担になり、敏捷性を損なう。重力と筋力、重さと速さ、突進と回転のバランスが大事。だから結果として強い力士には勝つための肉体的機能(メンタルもあるが言わない)が集結してバランスしているはずだから、それはフォルム(形態)も優れた機能美がある、というものだ。
相撲は衝突から始まるので、重い物体との衝撃に耐える体がないと始まらないが、巨体の力士を小さな力士が倒すという光景は珍しくない。それでも最近は昔ほど極端な体重差は減っているようだ。グローバル化で巨体の力士が増えているのと、勝負のうえで立ち会いの占めるウェイトが大きことが背景になって、力士の大型化が進んでいるようだ。



0513 sumou

2016年5月19日木曜日

楽器2

楽器にも難易度があって、難しい楽器の代表格といえばピアノとヴァイオリン。求められる技巧の奥の深さが超絶していて、ものごころついた頃から厳しい指導を受け長い年月を費やしてようやく弾ける(上手下手は別)レベルの楽曲がいくつもあるそうな。
一方入りやすいものとしてはサックス(吹けば鳴る)、ドラム(叩けば音が出る)、オカリナ(扱いやすい)あたりを推す人が多い。簡単な楽曲だと比較的早く弾けるようになるとのことだが本当だろうか。ちなみにギネスに載っている世界一難しい楽器は「オーボエ」、簡単な楽器は「ウクレレ」。
オカリナやウクレレでは大逆転のインパクトに欠けるような気がするが、名手になるとこうした楽器で見事に世界観を表現している。サックスやドラムでは近所から苦情が来そうだが、これらは「ひとりしずか」「こっそり練習」に向いている。楽器も安く手に入る。しかし音楽の師匠によると「楽器は最初から良い物を買え」と。安いとやめやすい、ということだった。



0512 saxist

2016年5月18日水曜日

楽器

高校生だった頃、普段ちょっと冴えない感じの級友が、文化祭の発表で見事にトランペットを演奏した。一発で印象が変わり、周囲から一目置かれる輝かしい存在になった。語学でもこういうことがあった。アホなことばかり言い合う仲だと、内心本当にアホだと思ってたりするが、そういうのがペラッペラの英語で(日本人の片仮名英語でないやつ)外人と話すのを目のあたりにした時の衝撃!鮮やかな印象のどんでん返し。
「これだ。楽器か語学。ひそかに鍛錬して一発逆転!こんな瞬間を我が人生にも」そう思って幾星霜、こんな齢になってしまったが、いまだ果たせない。こういうものは意外性が命。秘すれば花ともいうべし。にも関わらず、誰彼となくやっていることを話してしまった。楽器も語学もまだまだ道は遠い。口が先、技はあと、これは格好悪い。切り札は出すときが肝心。ポーカーでもたいした手ではない時ほどはったりをかます。ひとを驚かすというのはすごい忍耐が必要なのだ。



0511 trumpeter

2016年5月16日月曜日

パイプの煙

煙草はやめたが、それでも喫煙者には気の毒な世の中になったと思う面もある。駅のホームや路上などから煙草が追い出され、吸い殻が散らばっている光景というのはいつしかあまり見かけなくなった。同様にテレビドラマから喫煙シーンというのも排除されて久しい。シリアスな場面には欠かせない小道具だったし、これを渋く扱うのが役者の芸の見せ所でもあった。まして、パイプ煙草や葉巻となると、個室で深夜隠れてひっそり楽しむ隠微な世界のものになっている。

そんな息苦しい喫煙者たちの解放区が「シガーバー」だ。重い木の扉を開けると、薄暗い店内のカウンターで男たちが背中を丸めるようにして、持参のものをやっている。椅子や調度品のそこここに、甘いような苦いような、ねっとりとした煙と酒の匂いが染みこんで、会話もひそやかにぼそぼそと秘密めいて、ちょっとした異界の趣きがある。酒だけ飲んで帰ったが、煙草をやらない身でもその匂いは嫌なものではなかった。



0510 pipe man

2016年5月13日金曜日

走る

最後に駆けたのはいつだったのか思い出せない。それぐらい走っていない。たぶん駅の階段あたりかと思うが、当然覚えていない。日常、よいおとなが真剣走りをする機会など、そうあるものではない。昔、武士は「走るのは平常を失ったしるしで恥」だったそうで、「ゆっくりと歩くのを嗜み」とし、選挙時の政治家みたいなバタバタはしなかったようだ。もちろんそういう志とは関係ないだろうが、現代人は走らない。街で思い切り走っていたらスワ何事かとなって、周囲を驚かせる。ひとは理由がないと走らないからで、その理由が「逃亡」「緊急」「異常」などの不審を想起させる。運動と駅以外の場でひとが走るとえらく目立つ世の中になっているわけだ。

一方この生き物ばかりは、駆ける駆ける。きのうも、呼び寄せようとしゃがんだら、その動きにに驚いて一目散だった。




running cat

2016年5月12日木曜日

高い高い

ネコの特徴のひとつに「高いところが好き」というのがある。棚やタンス、サイドボードなど部屋の中で高い場所があると登りたがる。そこにはたいてい記念の額縁や旅の思い出の民芸品、雑貨など、細々としたモノが並べてあるものなので、猫飼いの家では仕方なくそれらを片付け、猫様に分譲することになる。眺望がよく、誰からも邪魔されずに毛づくろいができる最高の場所なのだろう。
一方で狭くて暗い窮屈な場所にも目がない。両方に共通するキーワードはたぶん「安心できる・落ち着ける」。人間にもこういうのがあるようで、広い宴会場だと後ろに壁がある席に座りたくなるし、電車のシートでも車両の一番端っこ、中央のシートだと両端の席がなんとなく好まれる(そこが空くと真ん中から引っ越す人が多いので)。自分もそうだったが、最近傾向が変わり、両方に人がいる真ん中の席のほうがよくなってきた。山の一人暮らしの反作用かもしれない。



0502 standing cat

2016年5月11日水曜日

痒いひと

「微妙に甘くて美味しいね。レンコンって正月以来かな」
「泥の中のお芋みたいなのでしょう?」(味はどうなんだ?)
「そうだけど…スリミにして揚げると全然印象が変わるね」
「胸まである長靴履いて掘ってるのテレビで見たことある」(だから味の印象は?)
「繊維が残ってるから分かるけど、でも言われないと何か当てる自信ないな」
「穴がいっぱい開いててカタチはかわいいと思う」(か、痒い!)
「…この串揚げ、もう一本もらおうか」
「これ、何だっけ?」



0501 itchy

2016年5月10日火曜日

あくび

いろいろな生き物があくびをする。変わったところでは、亀、へび、鳥など。さかなも水の中であくびをしている。水槽の中の熱帯魚を観察していると、短いながらも口を大きくあけてやっている。しかし何と言ってもあくびは「ネコ科」にとどめを刺す。長さ、大きさ、あられもなさ、ともに申し分がなく、豪快で、見ている方まで気持ちがよくなる。
どこか弱々しく優しげだった木々の緑もすっかり濃くなって、鬱蒼とした印象に変わってきた。遠くの山の稜線もぼんやり霞んで、雲がゆっくり流れていく。春があくびをしているような風景だ。



0430 yawning cat1

0430 yawning cat2