2016年6月28日火曜日

先輩失敗

その先輩は「リタイアしたら、好きな温泉に行ったり、読みたかった本を楽しんだり、のんびり過ごして、会社員時代にたまった垢でも落とすよ」優しく笑いながらそう語っていた。旅行は週末でなくていいし、閑散期に行けば費用も安く上がる。日程に余裕のある長期の旅もできる。勤めが長かったら誰だって「しばらくのんびり」解放感に浸り、それからのことは「またそれからぼちぼち…」となるのが一般的だ。計画は縛りでもあるから、そういうもののない空白こそ、これからの醍醐味というわけだ。果たして…
三ヶ月を過ぎた頃その先輩から悲鳴があがった。「何でもいい。何か手伝える仕事はないか」
話によると、やりたいことはあらかた三ヶ月のうちにやってしまった。毎日家にいるのが苦痛で仕方がない。冷暖房完備、ソファに坐って好きな本や雑誌を読みほうだい、音楽や映画も楽しめてお金もかからない、図書館天国や!と聞いて通いだしたが、周囲を見ると同じような境遇のご同輩ばかり、これにも飽きたという。お金は二の次、比較的近くで、軽作業で週の半分も働けるようなパートでもあればと思うが、見つからないらしい。
「囚人も辛いだろうが、何もやることがない自由というのもキツイよ…」先輩はそう言って長い溜息をついた。
いま、公営の図書館やプール、ジムなどに時間を持て余し居場所に困ったシニア難民が押し寄せているらしい。



                         甘えるでねえ!畑の草でもむしっとれ!
0621 old woman

2016年6月27日月曜日

大きすぎる余白

学校出てからリタイアするまでの仕事による拘束時間よりも、リタイア後の自由時間の方が多いという話を聞いた。試しに計算してみると、1日10時間を通勤も含めた労働拘束時間とし、1年240日労働、38年勤務で91200時間。60歳リタイアで20年生きたとして、1日14時間自由時間、365日自由として102200時間となる。残業や仕事のつきあいなどもあるから、こういう時間も入れると拘束時間はもっと多くなるし、月~金は「食う、寝る以外は仕事べったり」というのが実際の感覚に近いかもしれない。しかしそれにしても、あの長い仕事人生と同量の時間がリタイア後に用意されているという事実には驚く。
何の計画もなく、「しばらくのんびり…」だけで乗り出すには、あまりに無謀な大航海となる。先輩たちの中には僅か三ヶ月で難破した人もいる。その話はまた。


                              あれ、まっ
0616 woman


2016年6月24日金曜日

齢をとると・・・

責任や役割などから放たれて、背負うものが軽くなってくる。すれば足取りも軽くなりそうだが、どうなんだろう。第二の人生、セカンドライフ。真っ白なキャンバスに、「さあ、お好きな様に、何でも」と言われて戸惑わないひとは少ない。自由というのは河原の小石のようなもので、その辺に転がっているあいだは気にならないが、ポケットに入れると途端に持て余す。キラキラ光ってきれいに見えた小石でも、ポケットに入れるとただの鬱陶しいオモリに変わる。捨てるには惜しい。

だからというわけでもないだろうが、いまの日本人は、齢をとっても元気なうちは働きたい、という人が多い。どんな仕事でも、働いているうちは、その日その日をうっちゃることができる。白い紙に向かうくらいなら束縛の方が気が楽というわけだ。来る日も来る日も、白い紙を差し出される、絵の描き方が分からないとこれは苦痛でしかない。日本人はずっと勤勉で来たから無理もないが、世界一の長寿民族になった以上、これから否応なく誰も見たことがない日本独自の絵が試される時代になっている。



             見たいものだ
0615 old man

2016年6月22日水曜日

小林秀雄

一昔前までは、作家が自ら創作したものの評判を目にする機会は滅多になかった。売れ行きで推量することはできても、印象や感想といったナマの反応は、ファンレターの類いや周囲の関係者・業界(評論家・編集者・マスコミなど)の声ぐらいしか届かない。利害がからまない第三者の素の反応というのはなかなか知ることができなかった。
いまはネットがある。自分の名前や作品名に続けて評判・感想などのキーワードで検索したら、たちどころに世間の声が押し寄せてくる。こういう声は毀誉褒貶が偏る傾向があるようで、中間の穏当なご意見よりも、極端な批判か支持が目立つように思う。けなすか褒める、いずれかの極論でないと、誰に頼まれたわけでもない個人が感想を書き込む動機に乏しくなるのだろう。
これはこれでデリケートな作家にはたまらない環境だと思う。神経の細い人だったら、容赦無い批判に接したら寝込むことになりかねない。作家に限らず有名人という人種には「危うきネット場に近寄らず」の方針を堅持している人がいる。逆に言えば「懲り懲り…」なのだろう。



0614 Hideo Kobayashi

2016年6月21日火曜日

志賀直哉

創作というものは孤独な作業。陶芸、絵画、作詞、作曲、小説、脚本…作品を産み出す場は大抵密室で周囲に人はいない。だからというわけではないが、作家は多弁になる。口には出さない。自分に語りかける。「いい感じだ!」「調子がでてきた」「うまい!」「さすが!」「もうちょい!」「天才だ!」「これは傑作」「スゴイ!」「痺れる!」などなど。こうして自分を常に励ましてくれるおだて上手なコーチが自分のなかにいて、それと会話を交わしながら作品を進めていく。
この反対に「叱咤型」のコーチをもつ人はいるのだろうか。「能なし!」「へたくそ」「またそれか!」「●●にそっくりじゃないか!」「やめてしまえ」こんな声が聞こえてきたら普通はやってられない。
たぶん、作家たちはそんな厳しい自問自答(自意識)にさらされているからこそ、おだて型のコーチを必要としているのだろう。自分で自分を褒めて、多少の酩酊感がないことには、とても孤独に堪えられそうにない気がする。それともホンモノの天才には、そんなものは必要ないのだろうか。



0613 Naoya Shiga


2016年6月17日金曜日

藤竜也

小ぬか雨、霖雨、篠突く雨、春雨、さみだれ、秋雨、しぐれ、にわか雨、夕立、氷雨、村雨、梅雨…
雨の言い回しにもいろいろあるが、今朝の丹那は「霧雨」の朝。霞が立ったように烟って、よく見ると小さな雨の粒子が流れている。これでうす陽が差せば虹になりそうな。
卯の花もすっかり散って、いまは紫陽花が花盛り。道端にはホタルブクロが咲きこぼれ、山百合も小さな蕾をつけている。桑の実や木苺を頬張りながら歩く山道はこの季節の楽しみ。クマが心配。



0612 Tatsuya Fuji

hotarubukuro

kuwa


kiitigo

2016年6月16日木曜日

一年

初めて木炭で絵を描いたのがちょうど一年前の今日だった。素焼きの木炭ではなく、鉛筆状のチャコールペンシルを使ってガラス瓶に挿した紫陽花を描いた。それから始まって今日までざっと200枚。このペースを10年続けて2000枚、野球なら名球会入りだが、こちらは何の意味もない。

数字はいろいろな意味をまとって人間を縛る。目標、評価、成績、売上、利益、報酬、偏差値、支持率、視聴率、景気動向…。そういう生々しい現実からリタイアしても血圧、コレステロール、肝機能、肥満度、平均寿命、預貯金残高…。

意味のない数字、というのはむしろすがすがしい。


            え、そうじゃないか!
0611 man

2016年6月14日火曜日

レイ・チャールズ(Ray Charles Robinson)

視覚を失った音楽の巨才の顔ぶれを見ると計り知れない人間の潜在能力というものを思う。あるものを失ったがために別のものが突出するといった単純な物理ではなく、この一点に注いだ時の能力の飛躍ぶりや可能性。失うことが契機になったにせよ、あるいは持って生まれた資質的な背景があったにせよ、ひとが「これしかない」と定めてうがち始めた一点は、時に巨大な結果をもたらす。
逆に言えば、ふつうはこの一点しかないと追い込まれるような状況は生まれないから、周囲の刺激や常識、時の流行に翻弄されて色々なものを追いかけ、結局なにものにもなれない。「選択と集中」は一世を風靡したビジネス用語だが、こういう標語が生まれること自体、それがいかに困難かを物語っている。



0608 Ray Charles Robinson

2016年6月10日金曜日

ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)

「じみへん」は鬼才中崎タツヤ氏による連載まんが(一話完結の15コマ漫画)のタイトル。2015年惜しまれつつ連載終了。還暦を節目に絶筆とのこと。氏は過激な断捨離主義者で、エッセイ集「もたない男」には「命と金と妻以外は捨てる」とある。現役のとき仕事場に置いてある机も無駄に見えて捨て、キッチンで漫画を書いていたこともあったらしい。周囲には何もモノがなく、いつでも引っ越しできる状態、月の電気代が100円を切り、ほとんど基本料金だけだったとか。

モノの収集も嵩じると病だが、その反対もまた真なりといったところ。しかし色即是空、本来無一物の禅の教えもあるし、確かにひとはモノを所有しすぎたとは思う。哲学者が言っていた。人間を不幸にする三大要因は所有、知識、人間関係。身ざっぱりにして広がった空間を見れば、モノをもたない別次元の充足感が現れるのかもしれない。



0602 Jimi Hendrix

2016年6月9日木曜日

ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)

この時期になると調子が悪くなる。コメカミの奥がしんみりと痛む。腰のあたりが重だるい。肩もこる。胃のあたりがしくしくする。夜の眠りも浅めだ。湿度や気圧、天気など気象条件が微妙に体調に影響するらしい。つくづく人間のからだというものは「ナマモノ」だと実感できる。よくもこう、日ごとのお天気そのままにからだの加減も変化するものだ。
人間以外の動物はどうなのだろう。不眠症のネコとか頭痛もちのウグイスはいるのだろうか。
「雨降りはどうも膝の具合が悪くていけねえ…」そんなトカゲがいてもいいのだが。



0531 Billie Holiday


2016年6月7日火曜日

写真ぎらい

写真が苦手(撮られるのが)という人がいる。どんな顔をしたらいいのか分からない。笑ってと言われて笑えるなら苦労はしない。無理して表情を作るとひきつったようになる。自然にすると怒っているような顔になる。「はい!チーズ」ってやってもいつも変な顔に写っている。自撮りですらうまくいかない。ああ、よく写った!なんて写真は滅多にない。半眼、半口、赤目、なんでそうなる!すっかり写真嫌いになって、滅多に撮らないが、困るのは集合写真。入って入って、などと誘われて断りもならず、仕方なく、前の人の頭に隠れるようにひっそりと。だから私の写真はいつも半顔…私小説の書き出しみたいだ。

よく写るには口角筋をどうしてこうして、みたいな講釈がいっぱいあるが、上のような人には難しすぎる。新しいキーワードは「ノルウェー!」で、こう唱えると口の感じがよくなってきれいにとテレビでやっていたが、「ウェー」のところが曖昧だ。もっといいのがある。「年金!」がそれ。キンは実際に息を弾くように出すぐらいにするとちょうどいい。お金が上から降ってくるようなイメージをもつともっといい。目まで輝いて写る。借金、税金、罰金でもよいのだが…



0527 singing woman

2016年6月3日金曜日

サッチモ(Satchmo)

よく迷子になった。一瞬眼に入ったものに興味をもって見入る。そのため親の背中が視界から外れる。親が消える。すぐ後を追う。よく似た背中を見つけ、慌ててついていく。それが親と違うと分かった時、失望感で目の前が暗くなる。立ち止まって前か後ろか、右か左か、見回すが親はいない。知らない場所で、知らない顔ばかりがぞろぞろ歩いているだけ。人をかき分けかき分け動きまわるが、もう自分がどっちへ向かっているか見当もつかない。絶望と恐怖。鼻の奥がつーんとして、涙の堰が切れ…
押入れで遊んでそのまま眠りこけ、いなくなった!と家中で大騒ぎになったこともあった。家族や近所の人たちも加わって探しまわったが見つからず、慌てふためいているところへノコノコ出てきたらしい。北海道の迷子が見つかってよかった。本人よりも周りが泣いている。



0525 Satchmo