2016年7月1日金曜日

隠居

子供などが一人前になると身代を譲り、自分は隠居してのんびり過ごす。古くからそういう習わしが武士階級や商人にあった。譲るべき身代があるというのは恵まれた境遇に違いないが、現世で得た利得のポジションを譲り渡す背景になっているものは何だったのだろう。

ひとつはお家の継承に対する責任が想像以上に重くのしかかっていたということ。家長としての役割を立派に果たすことが人生最大の命題であり、それが出来て初めて「私」の生があるという認識だったから、なるべく早く役目を果たし終えたいという意向が働く。こんな重くて鬱陶しいバトンは早く渡してしまいたいという衝動もあっただろう。生きるか死ぬかの戦国の世は知らず、戦乱が絶えて久しい泰平の時代が長くなると、それなりに社会の秩序も固まり、人生の見通しが効くようになる。「お家もここまで無事にきたし、人生五十年、ここらでそろそろ…」という俯瞰が可能になっている。

そしてもうひとつ、古い時代の日本人の精神の底には、俗世を離れ風流に生きることへの強い憧れがあった。その時代の気分として、閑寂の里に小さな庵でもこしらえて、ゆっくり茶でものみながら余生十年、好きな俳句でも楽しめたらそれで十分、欲望に溺れず、足るを知るの自制と美意識もあった。当時の日本人の価値観には、隠居しての侘び住まいがひとつの理想形として写っていたのだろう。
茶の湯が様式になって道具立てに金のかかる大名道楽になってしまったが、本来風流は清貧のもの。持たず、追わず、ひっそり静かに自然の前に身を置いて、人生究極の楽しみを見つめた古人たちの先例が、「いつかは自分もあのように」となって隠居への背中を押したのだ。

いまの世はグルメ、ゴルフ、温泉、海外旅行、酒、クルマ、おしゃれ、美容、ギャンブル…と欲望のタネは尽きず、金はいくらあっても足りない。周囲に欲望と刺激が溢れてくると、常に満たされることのない渇きが広がっていくように、隠居などといった風流な文化は世に廃れ、晩節を顧みない老害がはびこる。



               玉は引っ込んどれ
0623 Japanese SHOGI player



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